「池田徳眞」について

図書館で偶然、池田徳眞『プロパガンダ戦史』という本を読む。

池田徳眞『プロパガンダ戦史』(1981)(中公新書)

プロパガンダ戦史 (1981年) (中公新書)

プロパガンダ戦史 (1981年) (中公新書)

外務省情報局のラジオ室(今のラヂオプレス)の出身とか。

googleで検索してもあまりヒットしないが、いくつか。

池田徳眞『日の丸アワー―対米謀略放送物語』(1979)(中公新書)

日の丸アワー―対米謀略放送物語 (1979年) (中公新書)

日の丸アワー―対米謀略放送物語 (1979年) (中公新書)

太平洋戦争中に、参謀本部が直接責任をもって、東京からおこなった謀略宣伝放送が三つあった。その第一は、カズンス少佐による「ニュース解説放送」。その第二は、戸栗嬢、インス大尉、レイズ中尉の三人による「ゼロアワー放送」、すなわち有名な「東京ローズ放送」。そして第三が、このとき新しく始まろうとしていた俘虜集団による「日の丸アワー放送」である。
カズンスのニュース解説放送・・・昭和17年4月から19年6月ごろまで。
ゼロアワー放送・・・・・・・・・・・・・昭和18年3月から20年8月14日まで。
日の丸アワー・・・・・・・・・・・・昭和18年12月から20年8月14日まで(途中、“ヒューマニティ・コールズ”と変名される)。
http://www010.upp.so-net.ne.jp/ya-fuian/15_siryou.html

東京ローズ」は同盟通信社の井上勇がかかわっていた。
ミステリファンには東京創元社でよく翻訳してる人という印象だが、氏の本業はこちらだった。

十四人の捕虜のうち三人(ヘンショー、ブロボー、マクノータン)は翌日早速NHK第五スタジオヘ赴いて、同盟通信社(昭和十一年連合通信社と日本電報通信社通信部門を合併して設立した国策通信社で社長は吉野伊之助、幹部には松本重治、長谷川才次、井上勇の各氏など)の用意した原稿を読み上げ、かくて我が国初の捕虜による謀略放送第一回「日の丸アワー」は放送されたのである。
http://satehate.exblog.jp/9379355/
上坂冬子東京ローズ』)

以下の本にあった。

ラジオ・トウキョウ 1―戦時体制下日本の対外放送

ラジオ・トウキョウ 1―戦時体制下日本の対外放送

ラジオ・トウキョウ 2―全記録 戦時体制下日本の対外放送

ラジオ・トウキョウ 2―全記録 戦時体制下日本の対外放送

ラジオ・トウキョウ 3―全記録 戦時体制下日本の対外放送

ラジオ・トウキョウ 3―全記録 戦時体制下日本の対外放送

ピース・トーク―日米電波戦争

ピース・トーク―日米電波戦争

池田徳眞『恩寵と復活―徳川15代将軍の孫がつづる信仰の軌跡』(1993)

恩寵と復活―徳川15代将軍の孫がつづる信仰の軌跡

恩寵と復活―徳川15代将軍の孫がつづる信仰の軌跡

内容(「BOOK」データベースより)
清水徳川家の影響で、若き日にキリスト教に触れた、執筆時89歳の著者の信仰自伝。大正時代のキリスト教の指導者、留学先である昭和初期のロンドンの教会の様子なども記される。若い人々に、信仰によって歩む人生のすばらしさを語り残したいとの、著者の熱い思いがまとめられた。

意外にも、いや、やはりというべきか、徳川系でクリスチャンだ。
徳川宗家はベトナム人女性と結婚してるらしい。やはり華僑だろうけれど。


池田徳眞(1904-1993)のことは、佐藤優『国家の謀略』のpp.27-33にあった。

国家の謀略

国家の謀略

戦後は、インテリジェンス業務から引き、日本赤十字に勤め、晩年はキリスト教の宣教に力をいれた、とある。

東京帝国大学文学部卒業のち、英オックスフォード大で旧約聖書学を学ぶ。同時に軍事史も。
オールソウルズ・カレッジのアーネスト・ウィンストン(陸軍少将)に師事。
第一次世界大戦中の対敵謀略宣伝本部指導者だった。弟子に「アラビアのローレンス」がいる。