山田由美子『ベン・ジョンソンとセルバンテス―騎士道物語と人文主義文学』
- 作者: 山田由美子
- 出版社/メーカー: 世界思想社
- 発売日: 2009/07/01
- メディア: 単行本
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をぱらぱらと立ち読みしたら、たいへん面白かったので、
この作者の旧作を図書館で探して読んだ。次の本である。
- 作者: 山田由美子
- 出版社/メーカー: 世界思想社
- 発売日: 1995/03
- メディア: 単行本
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通例ではシェイクスピアとセルバンテスの比較が多いが、
当時はベン・ジョンソンがクラシカルだったはず、
シェイクスピアとセルバンテスの持ち上げは、
18世紀19世紀の現象だから、詳しく調べ直してみるよ、
というもっともな主張。
書評ブログあり。以下抜粋。
山田教授ご自身による著作。下記二つの対立軸の観点から書かれています。
A;新アリストテレス主義、個人の善、人文主義、ベン・ジョンソン、セルバンテス。
B;新プラトン主義、国家の善、騎士道物語、シェイクスピア、ローぺ。
現代の私達が有するドン・キホーテをハムレットと比肩させる概念、即ち自らの内なる理想の殉教者としての神格化されたドン・キホーテ像は18C後半古典主義とロマン主義の入れ替わり以降の「近代の解釈」であって、セルバンテスの書いた当時の「事実」と「背景」から率直に読めば「ドン・キホーテ」は当然に「額面通りの騎士道物語のバーレスク」と考えるべきである。そこでは新アリストテレス主義者としてベン・ジョンソンとセルバンテスとの多くの共通点と影響が見出されるとの論旨で両者の相互論(特に後者の前者への影響)が展開されています。
これらのことは私が今まで全く知らなかった世界です。シェイクスピアにおけるベン・ジョンソンはモーツァルトにおけるサルエリに類似の対立者であったと思っていましたしローペ・デ・ベーガは「ドン・キホーテ」でちょっと見掛けた名前に過ぎません。16Cに階層を問わず熱狂されたり(アマディス・デ・ガウラ)国王御用達講談本(アマディス・ド・ゴール)みたいな騎士道物語の意味にも無知でしたからそれらに対するジョンソンやセルバンテスの反感、引いてはシェイクスピアやローぺに対する批判もこの著書を読んで初めて理解できるものでした。そうでなければジョンソンによるシェイクスピア追悼詩は単に人気作家に対する嫌味な皮肉にしか受け取れなかったでしょう(それ以外の何かと言われると困りますが)。騎士道物語の蔓延を知らずしての「ドン・キホーテ」解釈は浅薄なものでした。
「新アリストテレス主義」について説明あり、極めて印象的。
アリストテレス『詩学』&ホラティウス『詩論』は、
プラトン『国家』10巻における、詩や劇の「模倣(イミテーション)」攻撃への反論であろう、と。
ああ、確かに、プラトン『国家』10巻の詩・劇批判の直後に来るのは、魂の不死をとくエルの神話だ。
大事なのは天的なイデアだろう、とプラトンが天を指差し、
いや、上ばっかり見てたら転ぶだろう、足元=地上を見ろよ、とアリトテレスが地を指差す。
肉体は有限だが魂は不滅なので死んでもOKさ、
市民は高貴に戦って死ねるべき、とプラトンは言わんとするのか。
19世紀ロマン主義への批判、たいそう心に沁みた。
18世紀の啓蒙主義、19世紀のロマン主義、20世紀のロジスティック主義、これらへの批判として心にとどめたい。
案外、啓蒙主義者らの中世暗黒論は事実に反することが多かったりする。