伊藤博文暗殺百年

今年は伊藤博文百年忌、
来年は韓国併合百周年。

偉人伝的TVドラマの類が作りづらい博文であることよ。
坂の上の雲』が代用となったのはオンエアされているとおり。

以下は、Yahoo!百科事典から。

伊藤博文(いとうひろぶみ)
[ 日本大百科全書小学館) ]ヘルプ

(1841―1909)

…以後元老として内外の重要政策の決定に関与し、とくに日露戦争の遂行と戦後における朝鮮問題、満州問題の処理には重要な役割を果たした。1905年韓国統監府が設置されると、初代統監に就任、韓国の外交権を掌握し、逐次内政の諸権限を収奪して植民地化を進め、韓国併合への地ならし役を務めた。09年(明治42)統監を辞任し、同年10月、日露関係を調整するためロシアの蔵相ココーフツォフと会談するため渡満、26日ハルビンに到着した際、駅頭で韓国の独立運動安重根(あんじゅうこん/アンジュングン)に暗殺された。…
[ 執筆者:宇野俊一 ]

筆者の名前は「研一郎」だが、これは父の名前「硯吾」から来た。
それ自体は「菊池源吾」から来ている。いやはや、なんとも。

で、母は私に何と名付けたかったかというと
伊藤俊輔からとって、「しゅんすけ」だったという。いやはや、なんとも。
(漢字でどう書くかは忘れた)